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◆ ノーベル平和賞とノーベル経済学賞は、怪しい。 その仕組みを解明する。2008.10.25(今日のぼやきより引用)  

◆ ノーベル平和賞とノーベル経済学賞は、怪しい。 その仕組みを解明する。2008.10.25(今日のぼやきhttp://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgiより引用)
 

アルルの男・ヒロシ(中田安彦)です。今日は、2008年10月25日です。
 今月は、ノーベル賞の各賞があいつで発表された。ノーベル賞とは、ダイナマイトの発明者であった産業家のアルフレッド・ノーベルがその遺産を世界の発展に貢献した人に授与すべしとした賞である。

 ノーベル賞の賞金の原資には、ノーベルの遺産があてられており、それを運用するノーベル財団(ノーベル・ファウンデーション)がある。ノーベルの遺産の90パーセント(遺産総額、日本円にして約207億円)が基金となったと言われており、ノーベル財団は、株取引のためのコンサルタントを主要各国に置き、理事が個人資格で外国の証券会社の役員になるなどして運用に励んでいるという。ノーベル財団そのものが一つの資産運用会社なのである。

 ノーベル経済学賞を、アメリカのブッシュ政権の批判で知られる、経済学者のポール・クルーグマンが受賞した。それを受けて、私が過去に集めた情報もふくめて検討してみると、「やはり、ノーベル賞は政治的な臭いを敏感にかぎつける賞である」という思いを抱かずにはいられない。

 後でも触れるが、ノーベル財団を現在、事実上動かしているのは、スウェーデンの名家であるワーレンベリ(ウォーレンバーグ)財閥である。この財閥は、「北欧のロスチャイルド」ともいうべき存在感を持っている。噂では、ノーベル財団も今回のウォール街発の世界金融恐慌で運用している米国株の損失を計上したらしい。

 以下の産経新聞の報道をみて頂こう。


(記事貼り付け開始)
ノーベル賞、賞金減額も 金融危機、財団を直撃 (2008年10月9日「産経新聞」)

 9日付のスウェーデン紙ダーゲンス・ニュヘテルは、世界的な金融危機がノーベル財団の資産を直撃しており、危機が長期化すればノーベル賞各賞の賞金額が減額される可能性があると報じた。

 同紙によると、ノーベル財団の資産は36億クローナ(約504億円)。資産の運用益などから物理学賞、化学賞、文学賞などの賞金として、それぞれ 1000万クローナが支出されるほか、授賞式の際の夕食会費用にも充てられる。

 昨年の財団報告では全資産のうち26億クローナが株式などに投資されており、大半を米国で運用。毎年、運用益の一割の再投資が必要だが、金融危機でこの確保が難しければ、賞金額減額も検討されるとの見方を示している。

(2008年10月9日「産経新聞」)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081009/acd0810091954010-n1.htm
(貼り付け終わり)

 さて、一般にノーベル賞と言われると、以下の6部門がある。

物理学賞
化学賞
生理学・医学賞
文学賞
平和賞
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞(経済学賞)

 このうち、物理学、科学、生理学・医学賞の三賞は、自然科学部門である。

 私が、「ノーベル賞は怪しい」と言っているのは、この部門のことではない。自然科学部門の受賞で、日本が今年は、物理学と化学賞を受賞した。

 その舞台裏については、最近大学生のH君が大学の授業で聞いたとする裏話があるがこれについても後述する。

<ノーベル賞とは>

 アルフレッド・ノーベルは、一般にダイナマイトの発明者として知られる。もう少し詳しく見ていくと、彼自身、ダイナマイトだけではなく、兄弟で中央アジアのアゼルバイジャンのバクーで石油企業を興したり、武器製造会社も立ち上げている。すなわち、ダイナマイトの発明は1866年であるが、その10年後には、兄ルードヴィとロベルトと共に現在のアゼルバイジャンのバクーでノーベル兄弟石油会社を設立し、1894年には、武器製造工場を買い取り、武器製造業に進出している。


アルフレッド・ノーベル(1833-1896)

 広瀬隆の『赤い楯』には、ノーベル賞の由来になっている、この北欧の産業家の来歴が述べられている。これによれば、ノーベル賞授賞式の舞台となっている、スウェーデンという北欧の国には、欧州随一の財閥・ロスチャイルド家との深い関わりがあるのだという。

 広瀬隆の『赤い楯』(下)の706ページ以下を引用する。

(引用開始)

  アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトを発明して簡単に大金持ちになったわけではなく、兄がペテルブルクの軍需工場を建設するに当たっては、ロシアのロスチャイルド家グンツブルク(注:広瀬の理解では、ロシアの富豪、グンツブルクはロスチャイルド一族)に数々の指示と資金を仰がなければならなかった。また、スウェーデンのストックホルムに建設されたノーベル工場は、資金がナポレオン三世の力添えによるもので、そこで生産されたダイナマイトが鉱山と鉄道建設に最大の力を発揮したのである。

広瀬隆の『赤い楯』(下)の706ページ
(引用終わり)

 広瀬隆はナポレオン三世とロスチャイルド家の関係を深く主張するが、他にもユースタス・マリンズが、著書『カナンの呪い』などでナポレオン三世が血縁でロスチャイルドと繋がっている事を示唆していたはずである。だから、何らかの深い関わりがあったと理解しておくことにしよう。

 さて、ノーベルが遺産の使い道として、ノーベル賞の創設を促した遺言を書いたときには、ノーベル賞は5つにすべしと書かれていた。遺書には、最後に書かれて、最終的に有効とされた遺言状には、遺産を使って賞を作り、科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に賞を贈るように記載されていたのである。したがって、経済学賞は当初は存在しなかった。

 実は、経済学賞だけは、ノーベル賞関係者に忌み嫌われているというのが真実である。

 確かに、デリバティブ理論そのものを生みだした、二人のロバート・マートン、マイロン・ショールズの受賞(1997年)の誤りは、次の年の米巨大ヘッジファンドLTCMの崩壊で明らかになっている。このように、経済学賞は、全てではないが、ビジネスに結びついた賞である。そして、何より元々ノーベルの遺言には全く存在しなかったものである。

 このノーベル経済学賞は、正式には「アルフレッド・ノーベル記念 経済学スウェーデン銀行賞」という。その名前が示すように、この賞は1968年にスウェーデン中央銀行がその設立300年を記念して、ノーベル協会に働きかけて出来上がった賞である。したがって、ノーベルの遺産から賞金は出されていない。ただし、選考方法は類似しているようだ。

 また、選考についてであるが、物理学賞、化学賞、経済学賞の3部門についてはスウェーデン科学アカデミーが、生理学・医学賞はカロリンスカ研究所が、平和賞はノルウェー国会が、文学賞はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられると書かれている。(「ウィキペディア日本語版」)

 ただ、ノーベル賞を論じる上で重要なのは、その政治性である。それはとくに平和賞と経済学賞において顕著である。平和賞の場合、近年では経済学者ではない著名人に経済に関する賞をあげようとしているのではないかとすら思えることがある。

 2007年のアル・ゴア、2006年のモハメド・ユヌスの受賞がそれに該当する。これは後でも述べるが、「新しいビジネス手段を生みだしたことに関する報償」となっている。その点で、経済学賞と同じなのである。

 つまり、ノーベル賞(文化系学問部門)は、「世界の最高支配層から受賞者に向けた報償と取り込みの仕組み」になっているのである。

<日本のロビーイング活動>

 私が、数日前に大学生のH君から聞いた話では、日本政府はストックホルムにノーベル賞担当部署を設置して、スウェーデンの王立アカデミーへのロビイングにいそしんでいるというのである。

 もっと露骨なイメージで言えば、日本政府が工作資金をばらまいて、日本人受賞に有利になるように働きかけているということだろう。この件について取り扱った、ニュースメディアはあまり存在しないが、少し古い記事になるが、イギリスの日曜紙「オブザーバー」が、このことを取り上げている。

 オブザーバーの記事(2001年12月16日)の記事には、H君の話に出てきた、ストックホルムの事務局の事も書かれている。日本の学術振興会(The Japan Society for the Promotion of Science)が、スウェーデンの医科大学のカロリンスカ研究所( Karolinska Institute)に、インフォメーション・センター(連絡事務所)を設置して、ノーベル医学賞の選考委員会に対して、日本人研究者のメリットを働きかけるロビイングをしている、と記事は書いている。

 この連絡事務所とは、「日本学術振興会ストックホルム研究連絡センター」のことだろう。

 学術振興会のウェブサイトには、21世紀初頭のニュースとして(振興会のHPでは不親切にも日付がよく分からない)、センター設置について紹介している。ただし、ノーベル賞のロビーイングについては書かれていない。以下に引用するとおりである。


(引用開始)
 ストックホルム研究連絡センターが開設されました

 日本学術振興会は、このたびスウェーデン王国のストックホルムに「日本学術振興会ストックホルム研究連絡センター」を開設しました。このセンターは、ヨーロッパでは、ボン、ロンドンに次ぐ3番目のセンターとして開設されたものであり、その開所式が、5月31日にシェラトンホテル(ストックホルム市)において、200名以上の出席者を得て盛大に行われました。開所式には、日本からは、日本学術振興会の吉川弘之会長及び佐藤禎一理事長らが出席したほか、来賓として総合科学技術会議から石井紫郎議員、黒田玲子議員、文部科学省から井上正幸科学技術・学術政策局次長、内閣府から科学技術政策担当の有本建男審議官が参加しました。

  吉川会長は、その挨拶の中で、スウェーデンとの学術協力の重要性に鑑み両国間の交流事業を一層発展させる必要があること、そのためにストックホルム研究連絡センターの役割として日本の学術情報を活発に発信すると同時に二国間の学術協力の制度的な枠組みを発展させることが不可欠であることを強調したうえで、同センターに対する支援と協力を出席者に呼びかけました。また、遠山敦子文部科学大臣及び尾身幸次科学技術政策担当大臣からのメッセージが文部科学省の井上次長、内閣府の有本審議官によりそれぞれ代読され、スウェーデン王国による世界の学術研究の発展への貢献に対する敬意と日本とスウェーデン王国との学術協力の飛躍的な発展へ向けてのセンターの役割に寄せる期待とが披露されました。

  スウェーデン側からも多くの著名なゲストが出席しましたが、中でもスウェーデン王立科学アカデミーのアーリング・ノルビー(Erling Norrby) 事務総長、教育科学省のアグニタ・ブラード(Agneta Bladh)副大臣、カロリンスカ研究所のハンス・ビクセル(Hans Wigzell)所長からは、日本とスウェーデンの学術交流の重要性、今後のストックホルム研究連絡センターの活動に期待する温かい言葉が寄せられました。その後、内田駐スウェーデン大使からは日瑞の交流促進を願って、日瑞両方の言葉で乾杯が促され、会場のゲストも高らかに唱和しました。


   開所式の当初の予定は午後7時散会でしたが、時間を忘れて談笑する輪が数多くできていました。そのような和やかな語らいの中から、将来の学術交流の多くの芽が生じることが期待されます。

   同センターの所長には志村令郎氏(京都大学名誉教授、生物分子工学研究所所長)が就任しました。また、文部科学省からは、岩佐敬昭氏(科学技術・学術政策局国際交流官付)が4月から常駐しています。事務所は、ストックホルム郊外のカロリンスカ研究所の敷地内に置かれており、アカデミックな雰囲気の中で学術交流の拠点として大きな役割を果たしていくことになります。

  同センターでは、今年度の活動の中心として日本の著名な研究者をスウェーデンに招待して学術講演会を行い日本の研究界の最先端を紹介していきたいと考えています。
 また、同センターの設立により、これまで研究者の相互派遣を通じて関係の深かったスウェーデン王立科学アカデミーとより密接な関係が築かれること、更にはスウェーデンイノベーションシステム開発庁(VINNOVA)、スウェーデン研究・高等教育国際協力財団(STINT)、スウェーデンリサーチカウンシル、スウェーデン戦略研究財団(SSF)とも、同センター設立を機に交流が更に促進されることが期待されます。

  さらに、これまでは、福祉や中立政策など特定の分野で注目を集めていたスウェーデンですが、学術研究面でも特色ある研究を行っている大学が多く、スウェーデンの学術事情を日本に紹介する役割も同センターには期待されています。

  なお、北欧全域の学術研究の中心として、ストックホルムに研究連絡センターが置かれており、スウェーデンのみならず北欧諸国との学術交流の拠点としての役割も求められています。

「JSPS学振ニュース」から
http://www.jsps.go.jp/j-news/topix.htm
(引用終わり)

 さて、この日本側のロビーイングについて、「オブザーバー」の記事では、ノーベル賞受賞者や財団関係者が日本をイベントで訪問したときに、その旅行費用を肩代わりした事を例としてあげている。

 この記事では「学問の世界ではこのような表だった行動を取ることはきわめて異例」としているのだが、この部分は日本叩きのニュアンスが強いのではないかと思う。そんなことは何処の国でもやっているだろうと思った方がいい。日本のやり方が下手なのでやり玉に挙がったのだろう。

 天下のノーベル賞の選考過程は、秘密になっている。他の国の事例でも様々なロビーイングが行われているに違いないのだ。

 日本人は、ノーベル賞のうち、経済学賞以外の5部門で、過去16人の受賞者がいる。どうも経済学賞だけは受賞させてもらえないようだ。平和賞についても、今後、緒方貞子元国連難民高等弁務官が受賞する可能性は残っているが、今のところ佐藤栄作元首相ただ一人である。

 佐藤栄作は、日本の非核三原則を打ち出したがゆえに、平和賞を受賞したとされる。『属国・日本論』(五月書房、副島隆彦著)では、佐藤の行動(具体的には、沖縄に配備されて中国に向けられていたの核ミサイル「メースB」を撤去することをアメリカと合意したこと)がアメリカのキッシンジャーの訪中と連動していて、それがソ連封じ込めに繋がる「米中接近」に繋がったという分析を提示している。

 ただ、ウィキペディアによると、次の指摘がある。

 「平和賞を選考するノルウェーのノーベル賞委員会は、2001年に刊行した『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と記している」( 朝日新聞2001年9月5日付)。

 その事から、キッシンジャーとともに、ベトナム北爆を指示した佐藤のノーベル賞受賞には問題がある、賞を剥奪すべきだという風にいう人もいる。

 ただ、これは「平和」をどのように定義するかという問題なのである。平和を「武器を容認しない戦後左翼的な平和」と理解すれば、このような批判は的を射ている。しかし、佐藤やキッシンジャーが平和賞を受賞したのは、冷戦のさなかのいわば「リアリズム」の観点によるものだった。

 核戦争を辞さない当時の二大超大国の戦争を終結にもたらした、キッシンジャーの対中接近戦略は確かに「平和」に貢献したと言えるのだろう。

 むろん、それはアメリカの大国の論理の正当化に他ならない。アメリカが平和のためと称して、ベトナム戦争のように、次々に軍事介入を続けている事実は今も存在する。

 さて、ノーベル平和賞の選考基準として、「多国間の友好、軍備の廃絶・削減、平和交渉の進行のいずれかに大きな貢献のあったとされる人物・団体に与えられる」というものがある。

 この基準に当てはめて、1980年以降の平和賞の受賞者リストを眺めてみると、ここ数年は、このどれにもあてはまらないにもかかわらず、平和賞を受賞している例がみられることに気が付かれるだろう。

◎1980年以降の平和賞受賞者

1981年 国際連合難民高等弁務官事務所
1982年 アルバ・ライマル・ミュルダール (スウェーデン)、アルフォンソ・ガルシア・ロブレス(メキシコ)
1983年 レフ・ワレサ (ポーランド)
1984年 デズモンド・ムピロ・ツツ (南アフリカ)
1985年 核戦争防止国際医師会議
1986年 エリー・ウィーゼル(アメリカ)
1987年 オスカル・アリアス・サンチェス (コスタリカ)
1988年 国連平和維持軍
1989年 ダライ・ラマ14世 (チベット)
1990年 ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ(ソビエト連邦)

1991年 アウンサンスーチー(ミャンマー)
1992年 リゴベルタ・メンチュウ(グアテマラ)
1993年 ネルソン・マンデラ、フレデリック・ウィレム・デクラーク(南アフリカ)
1994年 ヤーセル・アラファート(パレスチナ)、シモン・ペレス (イスラエル)、イツハク・ラビン(イスラエル)
1995年 パグウォッシュ会議、 ジョセフ・ロートブラット(イギリス)
1996年 カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ、ジョゼ・ラモス=ホルタ(東ティモール)
1997年 地雷禁止国際キャンペーン 、ジョディ・ウィリアムズ(アメリカ)
1998年 ジョン・ヒューム、デヴィッド・トリンブル(北アイルランド)
1999年 国境なき医師団
2000年 金大中(韓国)

2001年 国際連合、コフィ・アッタ・アナン(ガーナ)
2002年 ジミー・カーター(アメリカ)
2003年 シーリーン・エバーディー(イラン)
2004年 ワンガリ・マータイ (ケニア)
2005年 国際原子力機関 (IAEA) 、ムハンマド・モスタファ・エルバラダイ(エジプト)
2006年 グラミン銀行、ムハマド・ユヌス(バングラデシュ)
2007年 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、アル・ゴア(アメリカ)
2008年 マルティ・アハティサーリ(フィンランド)

 問題なのは、2006年のグラミン銀行(ムハンマド・ユヌス)と、2007年のアル・ゴア(IPCC)である。ノーベル賞には金融賞と環境賞というものは存在しない。これは平和賞なのである。

 ここにきて、ノーベル平和賞が、経済学者ではない人々に与える「ノーベル経済賞」の側面を持ち始めていると私は強く感じている。

<サラ金がノーベル平和賞を取った?>


ムハンマド・ユヌス氏

 グラミン銀行とは、マイクロ・クレジット(マイクロ・ファイナンス)というビジネスモデルを確立した銀行で、途上国の女性を対象に数人まとめて事業資金を融資し、その債務者の女性同士に相互監視をさせることで返済の効率を高めることが可能になったと言われる。これを設立したのが、ムハンマド・ユヌスというバングラデシュ生まれの財界人である。

 いわば、これは日本でいう江戸時代の「五人組」のやり方を債務者の管理に導入したやり方で、アフリカや東南アジアを対象にして、次々に展開されている。

 翻訳家の山形浩生(やまがたひろお)氏はかつて、マイクロ・ファイナンスについて取り上げたエッセーの中で次のように述べていた。「HotWired Japan Frontdoor / Altbiz」というウェブサイトの彼のエッセーを引用する。


(引用開始)
  マイクロファイナンス。これはいま、世界の貧乏人対策の希望の星の一つだ。世界中がこの方式に注目しているし、またかなりの成功例もいっぱいあって、やりかた次第ではかなり有効そうだということで、いろんなところで導入されようとしている。何をするかというと、要は貧乏人にお金を貸してあげようということだ。ふつうの銀行では規模が小さすぎるし担保も何もない貧乏人なんかにお金は貸してくれない。それを貸そう、というもの。そうすることで、元手がないから商売を広げられない、商売を広げられないから元手がいつまでもできない、という悪循環に陥っている貧乏な人たちが、自力でそこから脱出できるようにしてやろう、という仕組みだ。

  これをいちばん最初にやったのは、バングラデシュの経済学の先生だったムハンマド・ユヌスという人だ。(中略)この人は、バングラから海外に留学して経済学の先生になって帰ってきたんだけれど、経済学の講義をしているすぐ外の通りでは、飢えたホームレスたちが乞食をしていて、そのギャップにすごく心を痛めていた。自分の習ってきた経済学なんて、何の役にもたたない机上の空論じゃないか。

  そういう人たちと話をするうちに、かれは貧乏な人たちが、商売の元手がないから貧乏から抜け出せないんだということを知るようになる。商売用の自転車を買いたいけれどお金がない、という男。家具つくりをしているけれど、その道具を買うのに高利貸しで借金をしたので、その返済で手元に利益がぜんぜん残らない、という女性。そういう人たちに、ユヌス教授は、ポケットマネーからほんの2000円とか3000円とかを貸してあげた。すると、みんなそれでちゃんと商売道具を買って、商売をして収入をあげて、きっちり耳をそろえてお金を返してくれた。 

  金融の常識からすると、これは驚異的なことだ。貧乏人は、なんせ貧乏だから、担保になるものなんか持っていない。すると、お金を貸しても商売に失敗したらとりっぱぐれる。さらに、貧乏人は何も持っていないから、お金をきちんと返そうという意志が低いんじゃないか、というのがふつうの銀行の発想だ。どうせ失うものがないんなら、その貧乏人たちは借りた金をぱーっと使ってしまって、あとで「無い袖はふれねーよ」と開き直る可能性だってある。いや、その危険はきわめて高い、というのがふつうの金貸しの常識だ。さらに、そもそも貧乏人が貧乏なのは、才覚がなくてお金もうけもできないか、返すお金に手をつけないくらいの自制心すらないからじゃないか、という(暗黙の)考え方がある。

  ところがいまのユヌスの体験というのは、この常識にことごとく反している。かれらは返す意志はあった。ちゃんとそれを使って商売をするだけの才覚があり、返すべきお金をちゃんと返すだけの自制心も道徳心もあったわけ。

  そこでユヌス教授は、これをもっと大規模にやろうと思いつく。まず数人をまとめて自分が保証人になり、銀行から融資を受けさせるようにした。そしてそれがうまくいったので、かれは自分で銀行をつくる。土地を持たない、特に女性を中心とした貧乏人専門にお金を貸してあげる銀行。それが開発援助の世界では知らぬもののない、グラミン銀行だ。

「HotWired Japan Frontdoor / Altbiz 山形浩生の『ケイザイ2.0』 第21回 マイクロファイナンスと、高利貸しのポジティブな役割 ――バングラデシュのグラミン銀行の場合 」
http://hotwired.goo.ne.jp.way_back_stub/altbiz/yamagata/010227/textonly_01.html

(引用終わり)

 ユヌス氏の考案したグラミン銀行が、優れていたのは、借り手に事業資金を貸し付けてもしっかりと返ってくる「仕組み」を作り出したことにある。グラミン銀行のローンの返済率は98%であり、これは非常な高率である。この高返済率を維持するために、ユヌス氏は、二つの仕組みを導入した。

 ひとつ目は、貸付先を農村部の女性に限定する。もう一つは、女性は五人ごとのグループに組織して、その五人に連帯責任を負わせる「相互監視」を導入する、というものだ。

 ひとつ目の女性限定というのは、途上国では女性は家庭に縛り付けられているので、なかなか借金を放棄して逃げ出せないという理由がある。

 また、二つ目の相互監視は、まさに江戸時代の「五人組」の仕組みそのもので、互いに5人を監視させて、借金の連帯責任を負わせることで、メンバーのただ乗りを阻止するという狙いがある。

 しかも、途上国では金利が数百パーセントもあるのが当たり前とはいえ、25%前後の金利を設定したことが、グラミン銀行の成功に繋がっているとも言える。

 だから、ユヌスが06年にノーベル平和賞を受賞した際には、「だったら日本のサラ金にノーベル平和賞を与えたらどうだ」というような意見をブログで書く人も現れた。

 確かに、マイクロファイナンスの現場では、連帯保証の仕組みによる過剰な取り立てが問題になっているという話もある。このことを山形氏は別のエッセーで「マイクロ取り立て屋」(マイクロ・シャーク。ローン・シャークが高金利のサラ金業者のことをいうのに由来する呼び名)として、取り上げている。

 そして、ユヌス氏が想定していたかは分からないが、ノーベル平和賞受賞後、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった欧米巨大銀行もマイクロファイナンス部門を立ち上げている。

 このことからも分かるように、これは欧米巨大銀行の新しい途上国市場開拓のモデルとして利用されている。マイクロファイナンスと欧米の金融機関お得意の「証券化技術」を結びつけるやり方も登場しているようだ。

 つまり、ユヌスがノーベル賞を受賞したのは、もちろん、立派な女性の地位向上という大義名分もあるが、むしろマイクロファイナンスという途上国向けのビジネスモデルの存在を欧米金融機関に知らしめたということにありそうである。途上国向けにどのように進出していくか、いわば「ボトム・オブ・ピラミッド」の市場をどのように開拓していくかが、今の欧米のビジネス・スクールにおける大きなテーマになっている。

 そして、このマイクロファイナンスですら、金融工学の枠組みに全部乗っけてしまえばいいという思惑があったようだ。

 同様に、私が『エコロジーという洗脳』で書いたように、アル・ゴアの昨年のノーベル平和賞受賞に関しても同じだ。ゴアは、排出権取引とCDM(クリーン開発メカニズム)という二つの仕組みによって、巨大な資金を途上国に投入するという新しいビジネスの仕組みを考案したのでその功績が認められたのである。

 確かに、平和賞の「平和」の定義を、「経済活動が順調に続き、世界経済が発展し続ける」という形で拡げれば、ゴアとユヌスの受賞はあてはまるかも知れない。かなり無理があるが。

<アフリカの女性指導者を欧米エリート層が取り込んだ04年の平和賞>

 そのような欧米財界の思惑がもっと露骨に感じられたのが、2004年のアフリカ・ケニアのワンガリ・マータイさんの平和賞受章である。


ワンガリ・マータイさん


 彼女はケニアの環境副大臣として、アフリカで植林運動を推進したなどの理由で、受章している。国連が1970年代推し進めている「持続可能な発展」というスローガンを実践した人物であり、ノーベル環境賞といっても良いであろう。日本でも「毎日新聞」が、「MOTTAINAI」(もったいない)を実践しているとして高く評価したことで有名になった。

 ただ、私が取り上げたいのは、ノーベル平和賞受章を受けた報告の記者会見の席で、マータイさんが、「エイズは、黒人を殺すために西側が開発した細菌兵器である」と発言したのに、その後すぐに、アメリカの雑誌のインタビューでその事を完全否定しているということである。

 マータイさんは、「それは誤報です。そういううわさを信じてはいけないと言ったのが曲解された」と語ったという。(「読売新聞」2004年10月18日報道)

 しかし、彼女の発言は、詳しく報道されている。フランス通信(AFP)が報道した記事では、彼女は次のように語ったと言われているのだ。(記事リンク:http://www.abc.net.au/news/newsitems/200410/s1216687.htm)

 以下が、この記事から抜き出したマータイさんの発言である。

 「エイズが、お猿さんからやってきたという人がいます。しかし、私はそのことを疑っています。なぜなら、私たちは有史以前からずっとお猿さんと暮らしてきたからです。また他の人は、エイズは神様の呪いだという。しかし、そんなことはあり得ないんです。」

 「私たち黒人は、地球上のどんな人種よりも死ぬ確率が高いんです」

 「実際に、それ(HIVウィルス)は、ある化学者によって細菌戦争の目的に作られたものです」

(以上、上記リンクの「フランス通信」の記事より抜粋)

 明らかにこの記事では、この「エイズ=人造兵器説」が彼女の意見であると報じられている。この事を彼女は欧米のメディアの前で語ったのだ。

 決して後の釈明のように「そういう噂を信じてはいけません」という意味の発言ではなかった。

 何しろ、マータイさんはアメリカに留学したあと、ケニアのナイロビ大学で獣医学の博士号を取得している。そのような研究者の発言である点が重要である。

 明らかにマータイさんは、ノーベル賞受賞が決まった1〜2週間の間に主張を変えている。

 おそらく、この短い時間の間に、欧米の科学者たちの間から「マータイさん、それだけは言ってはいけないことになっているんだよ」と噛(か)んで含めるように説得されたのであろう。欧米の財界と付き合っていくには、言って良いことと悪いことがある、と知った彼女は注意深く為ったのだろうと私は判断している。

 このようにして、非自然科学系のノーベル賞とは、欧米財界人への報償(ごほうび)として機能すると同時に、非欧米人に対する「取り込み」を行うという役割を持っているのだ。

<ノーベル財団を動かすワーレンベリ財閥>

 そこで、問題となるのが、私がこれまで述べてきた、「欧米財界人」という総称でくくられている勢力の具体的な「実体」である。それは、明確な実体を持っている。ワーレンベリ家というスウェーデンの名家がそれである。

 現在、ノーベル財団の理事会には、ワーレンベリ家の一人である、ヤーコブ・ワーレンベリ(1956年生)がその名を連ねている。この人物は、スウェーデンの有力投資グループの「インヴェスターAB」の取締役会会長でもある。むろん、ビルダーバーグ会議の常連メンバーであり、アメリカ外交問題評議会の国際委員会のメンバーでもある。


ヤーコブ・ワーレンベリ(インヴェスターAB会長)

 インヴェスター社は、北欧の主立った大企業の株主として知られる。同社の公式ホームページには、主な投資企業が列挙されている。それによると、現在は、発電機器メーカーのABB(アセア・ブラウン・ボヴェリ)(保有7.5%)、医薬のアストラ・ゼネカ(2.5%)、携帯電話のエリクソン(4%保有だが19%の議決権)、北欧の証券取引所でナスダックと提携しているOMX(11%)、戦闘機製造のサーブ(20%保有、議決権37.5%)、大銀行のSEB(スカンジナビア・エンスキルダ銀行、18%)などに投資している。

 また、ヤーコブとは父親が違う、マーカス・ワーレンベリ(1956年生)という財界人は、インヴェスター社の元会長であるが、それよりも重要なのは、国際商取引の総元締めというべき国際団体の「国際商工会議所」(ICC、インターナショナル・チェンバー・オブ・コマース)の会頭(会長)をこの7月まで務めていたという点である。


マーカス・ワーレンベリ(前ICC会頭)

 ワーレンベリ家の名前は、歴史好きな人には、ナチスのホロコーストからハンガリーのユダヤ人を多数救ったというラウル・ワーレンベリ(もう一人の「オスカー・シンドラー」か「杉原千畝」という人物)の名前で記憶されているかもしれない。

 さて、アメリカの財界の長であるデイヴィッド・ロックフェラーは、その『回顧録』の中で、ワーレンベリ家をロスチャイルド家と並んで紹介している。

 ロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行が、グローバルな多国籍投資銀行として展開しようとしたときに、声を掛けたのが、ワーレンベリ家であった。

 ロックフェラーは、多国籍事業の展開のパートナーとして、イーヴリン・ロスチャイルドのロスチャイルド銀行、ベルギーのランベール銀行、ドイツ銀行、スイス・ユニオン銀行の会長らと接触し、加えてスウェーデンのマルク・ワーレンベリ(ICC会長のマーカスは息子)とも接触している。当時、一族はSEBの前身であった、エンスキルダ銀行を支配していた。

 ところが、ロックフェラーの計画は若いワーレンベリには気に入らなかったようで、最終的にはチェースとの提携は立ち消えになった。ロックフェラーは、そのことにはかなりいらだっていたようで、『回顧録』の記述にもそれが窺える。(『ロックフェラー回顧録』270〜271ページ参照)

 多国籍投資会社と国際商工会議所を押さえてきた、ワーレンベリ・ファミリーは、ビルダーバーグ会議には、スウェーデン元首相・外相であるカール・ビルトと並んで必ず参加している。

 そして、ノーベル財団の理事会(ボード・オブ・ダイレクターズ)のメンバーの中で財界人は彼だけである。

 スウェーデンというヴァイキングの国は、同時にスウェーデン東インド会社を設立した国でもある。英国と同様に重要な国である。

<今年の経済学賞のクルーグマンはケインジアン>

 最後に、今年の経済学賞と平和賞の受賞者について気になったことを述べておきたい。経済学賞を受賞したのは、一般のアメリカ人の間では経済学者というよりも、「ニューヨークタイムズ」の反ブッシュ政権のコラムニストという認識で通っている、ポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)だった。


ポール・クルーグマン

 クルーグマンはケインジアンなので、これは1976年にミルトン・フリードマンが経済学賞を受賞して以後の、規制緩和路線の「小さな政府」の経済学の流れが一旦ここで終わりを告げることと連動した受賞だったといえる。

 クルーグマンは、ウォール街の金融危機に際し、当初、銀行の不良資産を買い取るだけで、銀行への公的資金投入に踏み込んでいなかった、ポールソンの「緊急経済安定法」の中身を強く批判していた。ところが、クルーグマンが受賞する数日前から、イギリスを皮切りに、政府の公的資金の銀行への直接投入、つまり銀行の国有化が行われ始めたのである。

 クルーグマンは、先頭を切って、公的資金投入を宣言したイギリスのブラウン首相に対して、コラムの中で、「ゴードンはよくやった」と称賛したが、まさに「あうんの呼吸」と言うべきだろう。

 クルーグマンは、当初からヒラリー・クリントンが次の大統領になるべきだと言い続けてきたが、オバマが正式な候補になっても、「次の民主党大統領が、政府の役割を拡大させていくべきだ」と主張していた。クルーグマンは、反ブッシュを強く打ち出している「党派人間」(パーチザン)ではあるが、同時に以前から世界の中央銀行総裁らがメンバーに参加している国際的な経済諮問会合である「グループ・オブ・サーティ(30人委員会)」のメンバーでもあった。

 このグループには、ラリー・サマーズ元財務長官、ポール・ヴォルカー元FRB議長のようなオバマ支持派から、マーティン・フェルドシュタイン元大統領経済諮問委員長やケネス・ロゴフ(IMFエコノミスト)などのマケイン支持派が入り組んで参加している、グローバリストの組織である。(公式サイト:http://www.group30.org/members.htm)

 クルーグマンが経済学賞を受賞したのは直接的には、貿易理論の精緻(せいち)化が理由に挙げられているが、自由貿易の理論であれば、もっと優れた学者のジャディッシュ・バグワティ(コロンビア大学教授)がいたのではないか、と疑問視する声も上がっている。

 バグワティはクルーグマンの師匠にも当たる。彼が経済学賞を「自由貿易理論への貢献」で受賞できないのには理由がある。それは、バグワティ教授が、クリントン政権時代のウォール街と財務省の癒着(ゆちゃく)関係を「ウォール街・財務省複合体」と呼んで激しく批判したからだろう。

 その点、クルーグマンは、学者というよりは、「イロモノ」の政治コラムニストなのだが、オバマ政権が誕生した場合の「公共投資重視」の路線を象徴するという意味合いで選ばれたのではないかと思う。ノーベル賞を決めているのは、何しろヨーロッパの反ブッシュ・反共和党政権の識者たちなのである。

<アハティサーリ受賞にまつわる懸念>

 また、平和賞を受賞した、マルテッィア・アハティサーリ元フィンランド大統領については、ロシアからの批判がある。


今年の平和賞受賞者のアハティサーリ

 アハティサーリ元大統領は、インドネシア領だったアチェ共和国の独立への尽力、中央ヨーロッパのユーゴスラビアからのコソヴォ独立などを実現させたなどの功績が理由に挙げられている。

 ところが、アハティサーリのコソヴォ独立への貢献なるものは欧米の「ダブル・スタンダード外交」の成果であるという批判がなされている。ユーゴの指導者だったのは、逮捕された後に拘置所で裁判の最中に不審な死を遂げた、スロヴォダン・ミロシェビッチ元大統領である。

 欧米、日本のメディアは、ミロシェビッチの負の側面をたくさん報道して、独立運動をしていたセルビア共和国内のコソヴォ自治州のコソヴォ解放軍(KLA)の残虐行動については黙認したことが後に批判されている。(日本では木村愛二氏などが詳しく取り上げていた)

 ユーゴスラビアに空爆を行ったアメリカ軍主体のNATO(北大西洋条約機構)軍も、KLAのセルビア人らに対する虐殺を黙認したと言われている。

 アハティサーリは、NATO軍のウェズリー・クラーク司令官が、さんざんユーゴ連邦のセルビア共和国内に空爆を行った後に、はなばなしく特使として登場した。

 また、当時のロシアは、エリツィン政権だったので、欧米との融和路線だった。エリツィン大統領と、その特使となったチェルノムイルジン元首相は、欧米諸国の言い分をそのまま受け入れた。

 そうして、最終的にはコソヴォ共和国は2008年の春に独立するのだが、これを逆手にとって、利用したのがプーチンのロシアであった。

 それは、グルジア領内の南オセチア共和国とアブカジア共和国の独立を認める際に、コソヴォがセルビアの自治州からの独立を実現したときと、コソヴォの例を臭わせて、民族自治の観点でグルジア内の両共和国独立の支持の論理を展開したのである。

 だから、アハティサーリは、ロシアのグルジア領内の2共和国に対する行動と、自分の行ったユーゴスラビア和平交渉におけるコソヴォの扱いは違うとわざわざ断りをいれなければならなかった。今月18日の「産経新聞」は次のように伝える。


(記事貼り付け開始)
コソボ独立勧告は「正当」 アハティサーリ氏が会見
2008年10月18日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 今年のノーベル平和賞受賞が決まったアハティサーリ前フィンランド大統領は17日、訪問先のロンドンで記者会見し、国連事務総長特使として昨年に行ったコソボの独立勧告について「他の選択肢はあり得ず、正当な結論だった」と強調した。

 また、コソボ独立とグルジア・南オセチア自治州、アブハジア自治共和国の情勢には「何の類似性もない」と述べ、ロシアが両地域の「独立」を承認したことは「大きな誤りだ」と語った。(ロンドン 共同)

2008年10月18日 産経新聞
(貼り付け終わり)

 ただ、当初、ロシアは、アハティサーリの受賞そのものを批判していた。ロシアのロゴージンNATO大使は、ロシアは同じ正教を信仰するセルビアを支援し、コソボ独立に反対してきた経緯から、アハティサーリの受賞をこっけいだと批判していたのである。

 そもそも領内に多くの独立分派運動を抱え込んでいるのは、ロシアである。たまたまグルジア紛争の場合には、独立を求める二つの共和国が親ロシアだったから良かったようなものだ。ロシアはNATOがネオコンと結託して、ロシア領内の小さな共和国の独立運動を煽動していくのではないかと恐れているのではないか、と私は判断する。

 そのロシアの懸念を踏まえるように、アハティサーリは、「グルジア問題はコソヴォとは違う」と念を押した。これは、既に「国際正義を決めるのはNATOやアメリカ、ヨーロッパであって、ロシアではない」と言ったのと同じだ。

 だから、ロシアと米国の関係が微妙なバランスの上で成り立っている状況を考えると、アハティサーリの受賞が生みだした国際世論は、今後の不安要因になるかもしれないのである。

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 以上、ノーベル賞の非自然科学分野のここ数年の動きについて簡単にまとめてみました。

 最後に極端な結論を言うと、欧米中心に視点を定めてみているから、ノーベル賞が重要な風に見えるだけで、新興国からの視点で見れば、こんなものたいしたことはないという理解になるはずである。

 台頭している新興国は、ノーベル賞など、しょせん「欧米財界人のアクセサリーか見せ物」でしかないという風に理解しているだろう。欧米金融危機のさなかの2008年の実感としてはそういうことである。

アルルの男・ヒロシ 拝
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引用おわり。



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